フランスのリヨンの日常生活で感じた事をざっくばらんに書き留めています。フランス、リヨン情報、外国人の友達、出来事、映画、フランス家庭料理、音楽、独り言。
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Sunday, April 13, 2008

やりきれない時

フランスに来て、一番精神的にやりきれなかったのは、私と同じ外国人の留学生が亡くなった時です。

一人の中国人の男の子の死のことは今でも忘れることができません。

初めてその子に会ったのは、もう何年も前になりますが、フランス語の学校の登録の時でした。その子とは並んでいた列の前後で、あまりフランス語ができない彼は保険の用紙の書き方に戸惑っていました。丁度私の隣にいたので、ちょっと手伝ってあげたのですが、とても人なつこい子で、ご飯をいっしょに食べようということで、登録の後、その子の友だちのインドネシア人の女の子の家で一緒にご飯を食べました。
クラスが違うので、あまり会うことはありませんでしたが、学校で顔を合わせるといつもとても嬉しそうな顔をして、「ああ、木蓮!元気?」と言って無邪気な顔で話しかけてきました。

芸術系で留学してきたそうで、将来はコンピュータグラフィックデザインをするための学校に入りたいと言っていました。中国でピアノを長い間弾いていたようで、リヨンでもピアノが弾きたいとよく言っていました。
クラスが違うので、お互い会った時に話すだけでしたが、会うたびに私に見せてくれる素直な笑顔は、リヨンでまだ知り合いの少なかった頃、随分私の心をなごませてれました。

皆が語学学校の後どうするかを決め、それぞれ書類を出していた頃には、彼も芸術の学校の試験を受けると言っていました。私自身も大学への編入手続きで忙しくしていました。

語学学校の学期は終わり、夏休みに入っていました。
ある日、彼の友人の例のインドネシア人の子からメールがきて、彼が死んだというのです。どうやら、気がふれて、寮で包丁を振り回していたようなのですが、その後ローヌ河のほとりに死んで横たわっているのを警察に発見されたようです。

あまりに突然のことで、そんな話は信じられませんでした。
しばらくして、たまたま彼と同じ寮にいた別の子から、確かにその話は本当だということを聞きました。
どうやら、芸術学校の試験に落ちて、中国の両親にひどいことを言われたらしいです。

それを聞いたの時、なんでもっといろいろ彼の話をきいてあげなかったのだろうかと思いました。彼が試験のことで不安そうにしていることもありました。私がそんなこと心配しても仕方がありませんし、何もできなかったかもしれません。でも、あの素直で優しい彼が、最後には精神を病んでしまうなんて。とても繊細な子だということは分かっていましたが、その話を聞いた時、どうしてもいたたまれませんでした。
残酷なものですね。いまでも、たまに彼のことを思い出します。ピアノが弾きたいと言った時、リヨンでピアノが弾ける場所を探してあげれば良かったと今でも思います。



もう一人亡くなった子でショックを受けたのが、中国で亡くなったイタリア人の子のことです。中国へ研修旅行へ行って、そこで刺されて亡くなりました。強盗でもなく、別にたいした目的があったわけでもなくただ刺され、手遅れで病院で亡くなったということでした。

(この彼女については
亡くなった彼女のために: Paola Sandriという題で少し触れています。)

彼女に初めて会ったのは、彼女の修士論文の口頭諮問でした。利発で、質問にもハキハキ答えていて、将来有望だろうなと思わせる子でした。博士論文研究のための奨学金の試験にも合格していて、これから活躍は間違いなしの子でした。さぞ皆悲しい思いをしたことでしょう。その子の担当教授は長い間ショックから立ち直れずに、端から見ていても気の毒なほどでした。
外国に留学して、そこで亡くなってしまうというのは、ニュースで聞いたりはしますが、自分の身近で体験すると、本当にやりきれない思いです。
彼女が亡くなったときは、あまりにもあっけなくて、その事実が信じられずに、インターネットで本当かどうか調べました。イタリア人女性刺殺という見出しの中国の新聞、フランス、イタリアの新聞を見た時、寂しさ、空しさ、いろいろな気持ちが混じり合い、前途有望な彼女とそのご家族のことを考えました。

人間っていつどうなるか分かりませんね。

たとえどんな苦労があっても、辛くても、生きているだけでも幸せなのだと思うようになりました。日々、いろいろ大変なことはありますが、それも生あってこそです。ここ外国で人の死と向かい合って、後になって悔やまないように毎日一生懸命生きていきたい、人の言うことをもっと真剣に聞きたいと思うようになりました。亡くなってしまった人の分まで生きることが、逝ってしまった友人たちへの供養だと思っています。

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